編集長のカバー・インタビュー サンデー毎日 1977年11月26日号

黒のTシャツにジーパン、さえない顔色の女の子がチョコチョコ入って来て、身の置き所もないような風情で席に着いた。これがニューミュージックの魔女 中島みゆき、25歳。

━ヒヤで軽く一升、だそうですが、ゆうべも?
「いえ、遅いことは遅かったんですけど、ゆうべはおサケはやっていません」
━ニューミュージックって何ですか。
「さあ、なんでしょう。わたしもわかりません」
━フォーク・ソングを都会的にしたようなものですか。
「まあ、そんなもんです」
━シンガーソングライターの歌はたいてい恋の歌ですな。それも失恋の歌がほとんどだ。ほかのテーマでうたえないもんですかねエ。
「そういえばそうですねエ。でもわたしはハッピーな歌はつくれないんです。多情なんですかねエ」
━多情?
「あのう、自分が消えちゃうんじゃないか。このまんま、自分だけ置き去りにされてしまうんじゃないか。ふり向いてももらえないんじゃないか。そう感じたときが、歌わずにいられない状況なんです」
━フム、フム、フム。
「陰と陽とありますネ。わたしはどうも陰のほうで・・・」
━まあ、むかしから、失恋しているときはみんな詩人、といいますからねエ。得恋じゃ歌にならんわねエ。
「陰、ですから」

━でも、あなたの『時代』という歌は、恋の歌とちがいますナ。
「私の父は北海道で産婦人科の医師でした。弟が一人います。その父が脳いっ血で倒れまして。『時代』はそのときつくりました」

 めぐるめぐる 時代はめぐる
 別れと出合いをくり返し
 今日は倒れた旅人たちも
 生まれ変って 歩き出すよ

「その『時代』で75年のポプコン(第10回ポピュラーソングコンテスト)でグランプリをもらいました。これ、ほんとにタナボタで、賞金百五十万円。そしたら、まもなく父が亡くなりました」
━お父さんの死を予感していたわけですか。
「そんなこともないんですけど、結果的にはそうなりました」
━生まれ変わって歩き出すよ・・・か。輪廻転生だネ、こりゃ。
「そうです。記憶が消せない人っていうのがあるでしょう。たとえば、行ったはずのない場所を知っているとか。わたしもそうなんです」
━どこの話?
「サンフランシスコの近くに一本、樹が立っているところがあるんですけど、わたしは行ったことがないのに、その樹のことを知っていました」
━『時代』はとてもいい歌ですね。お父さんへの挽歌だとすると、ますますいい歌です。
「ハア、どうも」


━いつから詩や曲をつくるようになったんですか。
「詩は小学校のころから。中学3年で詩に曲をつけました。筆箱にかけた輪ゴムをはじいたり、櫛の歯をひっかいて、リズムや音を楽しみました。ピアノを8年やって、ギターは高校時代から始めました。」
━どういうときに、歌ができあがるのですか。
「いつでも。自分が卑屈になるときは、いつでもです。ごはんをたべているときも。充実感がありすぎて、おサケをのんでいるときはダメです。夜、終わりの1小節をまずつくって、それから全体をつくることもあります。気になるフレーズが浮かんだら、すぐノートに書きとめます。」
(まるで小学生の女の子が持っているような、かわいらしいノートに、薄いエンピツで、びっしり書いてある。(一拍を「~」と表記する独特の採譜法)

日本縦断演奏旅行中。もうたいていの地方都市のファンにおなじみだ。オリジナルはすでに百三十曲を突破。先週11月13日号の「うわさ裏表」欄でも紹介したとおり、研ナオコの『あばよ』、桜田淳子の『ひとり芝居』、日吉ミミの『うそつきが好きよ』をつくったのをはじめ、都はるみ、加藤登紀子ら大もの歌手からの作詞作曲依頼殺到。

「いまは、こうするほかはないから、こうして生きています。追っかけるのか、追っかけられるのか、いつもせっぱつまった生き方しかできない・・・わたし、少しマゾなんですね」

━特に興味のある詩人は?
「与謝野晶子。自分自身を見る目に惹かれます。」
━与謝野晶子の教え子だった人に聞いたんだけど、あの人は十何人も子供を産んで、訪ねると、いつも大きなお腹で玄関へ出てきたそうです。あれだけの大歌人で、しかも子供をそんなにたくさんつくったところがすごいなあ。あなたもどうですか。相手がいないことはないでしょう。
「それがダメですねエ。好きになってくださる方があったら、こちらも好きになるんですけど、それがタダのご親切だったりして」

中島みゆき著『魔女の辞典』というヘンテコなパンフがあって、その最後の項が「取材記者」。
取材記者  ★容姿端麗、臨機応変、随所熟睡、食欲旺盛、★眼色柔和、★謙虚博識、裏芸必需、電話酷使、朝令暮改、付和雷同、読心術免許皆伝、★記憶力頑健、時間厳守、脚力抜群、★貞操堅固、深酒応需、年中無休、御苦労様。
★印のほかは、おおむね思いあたります。