コラム
2010年を迎えて (2010/01/05 記)

あけましておめでとうございます

このサイトを開設して4年目突入です。とは言いましても、根っからの「なまけもの」で更新は遅々として進みませんが・・・。

2009年末、京都へぶらり一人旅をしました。私は浄土真宗信者であり、お寺に参るのを趣味としております。京都の有名なお寺はほとんど2・3回は訪れています。今回はまだ行ったことのないお寺をと御室仁和寺にお参りしました。底冷えのする京都と行き交う人の多さに不安と緊張感にさいなまれました。人口10万人足らずの温暖な都市の中でもど田舎な町に住む私にとって、さらに毎日パソコンに向かい「ひきこもり」チックな私には異次元の世界です。不安感と緊張感を解きほぐし支えてくれたのは中島みゆきのお蔭です。あらかじめ予想はしていましたので、CDプレイヤーとお気に入りのアルバムを数枚持参してました。

精神に障害を持つ私にとって中島みゆきの歌はどんな薬よりも私にはよく合う精神安定剤です。いわれなく不安な時、どうしようもなくブルーな時、緊張感でガチガチな時など感情のセルフ・コントロールができなくなると中島みゆきの歌を聴きます。それも耳になじみの深い初期のアルバムを選びます。

勿論、中島みゆきは私にとってトランキライザーだけではありません。中島みゆきによって教えられたこと、気付かされたこと、生きてゆくパワーをもらったことは数え切れません。

皆さんも皆さんなりの中島みゆきがいるでしょう。このサイトが皆さんの中島みゆきにお役に立てれば幸いです。

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風邪 (2010/03/01 記)

1月下旬から風邪で寝込んでいました。どうも前の日に広島の百貨店に買い物へ行き、戸外のベランダでしか煙草が吸えないので、寒風の中に長居したのが悪かったようです。

熱も鼻水もくしゃみもないのですが、咳がとにかくひどくて、それでなくてもしんどいのに咳をするたびに体力が消耗されて、ずっと布団に横になってテレビばかり観ていました。

こういう時こそ、中島みゆきの歌を聴いていればよかったのですが、あいにく寝室のCDラジカセは寿命で(今から22年前に購入した年季もの)音が割れてしまいます。

日頃テレビをほとんど見ない私ですが、一度見始めると面白く、「テレビ中毒患者」でした。2月12日からはオリンピックも始まり夢中で観戦していました。

お蔭様で2月下旬には全快しました。丸々1ヶ月の冬休みでした。溜まりに溜まった用事をようやく済ませてサイト更新に取り掛かります。

マルチタスクな生活をしておりますので、どれくらいの頻度で更新ができるか解りません。気が向いたときに訪問してやってください。

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甲斐バンド (2010/05/04 記)

今年になってからどうも調子が悪いです。

プチウツが続き朝起きることはできるのですが、何もかもおっくうで何も手付かずにいました。

ただ唯一音楽だけは聴いていました。と言っても中島みゆきではなく甲斐バンドです。

甲斐バンドは私が大学生の頃大人気のグループで、付き合っていた女の子が大ファンだったせいもありいつも一緒に聴いていました。

amazonで『シングルズ』という甲斐バンドのシングル版を全て収録した2枚組のCDを見つけて購入していました。

改めて聴き直すと甲斐バンドのアメリカナイズされた先鋭的なロックに魅了されます。

甲斐バンドのリーダー、甲斐よしひろは中島みゆきのアルバム『36.5℃』で共同プロデュースしています。中島みゆきも甲斐バンドの音楽性に惹かれたのでしょう。

趣旨には反しますが甲斐バンドの『singles』は超お奨めなのでamazonのリンクを下に貼ります。

『シングルズ』 甲斐バンド

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ユーミン (2010/05/25 記)

浮気な私です。
甲斐バンドに続いてユーミンばかり聴いております。

中島みゆきがデビューしたのが1975年で松任谷由美(当時は荒井由美)のデビューは1973年です。年齢的には中島みゆきの方が2歳年上です。デビューが近いこと、そして互いに個性的であることから当時のマスコミでは頻繁に比較されました。中島みゆきとユーミンは仲がよく、オールナイト・ニッポンにゲストとしてユーミンが登場して面白おかしい話をしています。

ユーミンの2枚目のアルバム『
MISSLIM(ミスリム)』は音楽シーンに衝撃を与えました。評論家の間では「なんだ、これは」と今までにない音楽から「ニュー・ミュージック」と名付けられました。

私が今夢中になっているのは1998年に発売されたベストアルバム『Neue Musik』です。2枚組の全30曲入りです。青春時代を想起させる曲あり、初めて聴く曲ありで全然飽きる気配がありません。

つくづく感じるのはユーミンの天才とも言えるメロディラインです。確かに歌唱力は褒められたものではありません。私が行ったデビューコンサートではいきなり音をはずしてずっこけました。そこから比較すると何とか聴くには耐えられるかなのレベルですが・・・。

今年になって中島みゆきのアルバムを聴いてないことに気付きました。しかし、飽きっぽい私ですし私の原点は中島みゆきであることには違いないので、いずれ酒に溺れるように(笑)中島みゆきに戻ると確信しております。寄り道することにより中島みゆきの新たな発見があるのではないかとも期待しています。

ユーミンのベストアルバムのamazon購入口を下に記します。
『Neue Musik』

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自虐 2010/10/25 記

5月以来、全く更新をしていない。

今年はどういうわけか寝込む期間が長く、起きていても頭の回転が鈍く、サイトの更新をする気にならなかった。メルマガも3月に発行してから放りっぱなしで、半年発行がなかったせいで休刊措置が取られてしまった。発行する意思はあるのだが、解説には頭が働かないとできないので仕方がないと諦めていた。

起きていたときはオンライン・ゴルフ・ゲームばかりしていた。気持ちが前向きにならず創造的作業ができないので、ゲームで時間を潰すことしかできないと自らをおとしめて、本来一番やりたいこのサイトの更新から逃げていた。

また、収入がわずかな年金とファンドの配当金、駐車場代しかなく、親が苦労して貯めた遺産を食い潰している。普通の勤務ができない私が収入を得る手段として株取引などをしても、結局損をして支出を増やすだけでしかない。

金をもうけることに専心していると心がすさんでくる。中島みゆきの歌から遠ざかっていたのは、そんなすさんだ心を直視する勇気に欠けていたからだろう。

久しぶりに更新する気になったのは一昨日の出来事だった。

昨日が市議会選挙日で立候補している知人が最後の街宣に家の前を通った。彼女のサイトを思い出し訪問してショックを受けた。「俺はいったい何をしてるんだ」という自責の念から号泣してしまった。

今も調子は決してよくはない。しかし、調子の悪さに逃げていてる。

寝込んでいるときは仕方ないが、起きれたときは自らを奮い立たせる勇気をもたなくては。

11月18日 広島文化交流会館で25年ぶりに中島みゆきのコンサートに出掛ける。

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パニック (2010/10/28 記)

平均睡眠時間2時間の連続の果て、25日夕方生まれて初めて経験するパニック障害をおこした。

午後4時くらいから仮眠がとれたのだが、6時くらいにトイレに目覚めた。

既に真っ暗な世界。トイレの中で「自分が一体どうしたらいいのか」が全くわからずになってしまい、号泣し始めた。

トイレから出ても号泣は続き、廊下を熊のようにうろつく。

「誰か助けて~!!」という心の叫びに相手となる存在が見つからない。娘はあいにく夜勤でいない。かかりつけの診療所に電話するが留守番電話に切り替わっていた。

何とか自分を取り戻そうとゴルフゲームをする。バーチャル世界でチャットをすることでパニックを少しでも和らげようと。

しかし、まだ6時過ぎだとギルドメンバーもおらず、チャットをする相手がいない。仕方なく他のパーティに参加して、ゲームをすることで自分を取り戻そうと試みた。

しかしそれも叶わず、以前訪問看護に来ていた看護ステーションに電話する。泣きながら症状を訴えても理解してもらえず、全くとんちんかんな対応に電話を切る。

次に思いついたのが行きつけのスタンドのママ。ちょうど夕飯時で忙しい時間なのに優しいアドバイスをもらい、半分は落ち着く。

この状態を解消する常備薬はないかと薬局に電話。対応した薬剤師は戸惑うばかり。話の途中で朝の薬を飲んでいないことに気付いた。

その日は血液検査があるので朝食は取らなかった。そのせいで、薬を飲むことを全く忘れていたのだ。

早速朝の薬を飲む。しかし、30分経っても落ち着かない。どうすればいいか市内の入院施設のある精神科の病院に電話するが、よその患者なのでアドバイスしてくれない。ただ一つの病院で「もう睡眠薬を飲んで寝て」と忠告されたが、まだ8時にもなっていない。

眠ることより、不安や緊張を取り除こうと半分だけ飲んだ。

するとかなり落ち着いては来たが、ひとりでいることが不安でたまらない。誰か話相手が欲しくて、行きつけのスタンドに電話する。小ママが出て、「飲みにおいで、ゆっくり話しよう」と言ってくれた。

電車に乗るのが怖いので、車でお店に向かう。カーステレオに中島みゆきのCDをセットして運転する。5分もしない内にすっかり元の自分を取り戻せた。

お店で焼酎のお湯割を飲みながら小ママや春ちゃんと話したり、カラオケを歌うとすっかりパニックは収まり、アルコールが不安や緊張をほぐしてくれて、1時間もしない内に眠気が生じた。

代行を呼び帰宅する。車の中ではもう眠っていた。


翌日診察を受け、連日の睡眠不足から体は起きているのに脳が寝ていたのでしょうと先生の診断に納得。朝夕にセロクエルという精神安定剤を追加し、睡眠薬も1錠追加してもらう。

昨晩は23時には寝付き、7時まで熟睡した。すっかり落ち着く。ただ、今刺激に過敏に反応するので「必要以外の外出は避ける」よう先生からアドバイスをもらい、一日PCに向かった。

今アイデアがどんどん沸き上がり、あれもしたい、これもしたい、という欲望が強い。投資も株だけでなく、FXや先物取引に取り組んでいる。ともにシストレ(システムトレード)をしているので、コマンドを入れるだけでシステムが自動売買をしてくれる。


生まれて始めての大パニックはこうして無事収まった。

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起業 (2010/11/2 記)

12月1日付けで株式会社を設立することにした。

以前のコラムに書いたように、わずかの年金と配当金、駐車場代だけでは毎月10万円近く家計は赤字で、親の残してくれた遺産を食い潰すだけである。

会社を興すことは長年の夢であったが、具体案はなかなか浮かばなかった。

競馬、バレーボール観戦、サッカー観戦など多趣味ではあるが、それを実益に結びつけることは考えもしなかった。

先々週、長い間研究していた万馬券的中法がようやく見つかり、それを実証することができたので、それをソフト或いは情報商材として販売する案が浮かんだ。

情報商材は以前に取り組んだことがあり、プログラミングの知識が全くなく入門書を読んでもイメージさえ浮かばない私だが、幸いに高校時代の親友がプログラミングの会社社長をしていることを行きつけのスタンドの小ママから聞き、彼に頼んでみようかと明日会う約束をしている。

私は中島みゆきの歌で『Maybe』が「お気に入り」の一つである。

 
Maybe 夢見れば Maybe 人生は
 Maybe つらい思いが多くなるけれど
 Maybe 夢見ずに Maybe いられない
 Maybe もしかしたら


カラオケで歌うとき、この箇所で私はいつも泣きそうになる。

「夢」を持つこと、もっと具体的に言えば「目標」を持つことができない毎日のもどかしさの中でこの歌詞は私を苦しませる。

しかし、「夢」はいくつになっても持っていたいと願っていた。

ただ、その「夢」が何なのかが判らずもがいていた。

それが、こうして起業するという「目標」を持てたことで今の私は物凄く幸せである。

今の私の心境はまさしく『夢の通り道を僕は歩いている』の歌詞の通りである。

ただ、アイデアはいろいろと浮かぶがそれが実益となるかは疑問符である。

しかし、最初から諦めていたのでは実現の可能性はゼロでしかない。

実際に取り組むことにより可能性は生まれてくる。

これから起業に向けての準備や経営に忙殺される毎日が続く。

ソウウツ病という難病を抱えてどこまでやれるか不安はあるが、「目標」を持つことにより強くなれるのではないかと期待している。

そういう訳でこのサイトをせっかく再開する意欲が沸いてきたところだが更新がどれだけできるかは未知数である。

訪問者の皆様には、また中断期間に入ることをご了承頂くことになりそうである。

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不安定 (2011/3/7 記)

ソウウツ病とはハイな時期とブルーな時期が交互にやってくる。

18歳の秋に発病以来、私はこの厄介者に翻弄され続けている。

ハイな時は万能感に包まれ思いも寄らない行動を取ってしまうことも多い。

起業にしてもソウがなした失敗ではなかったのかと今でも不安に感ずる。いろいろなことを思い付き、それが全部可能だと信じ込み突っ走った。

しかし、それらのうちで実現可能なプランは情報商材だけだと行き詰まっている。しかも、FX術と万馬券術は出来上がったが他の案は今のところ何も浮かばない。

主治医の忠告に耳を貸さず「乗りかけた船だから」と会社を興してみてその煩雑さにこれからやってゆけるのか大いに不安がある。

しかも昨年からどうも調子が上がらず、いい時期が短くウツが長くなっている。

楽しみにしていたみゆきさんのコンサートもウツで寝込んでいて参加できなかった。

娘とバレーボール観戦に行くのも楽しみなのにすっぽかしてばかりである。

ウツになったら何をするのもおっくうで寝てばかり。

ソウになればあれこれやりたいことが盛り沢山となり、勢いハイペースとなってエネルギーを過剰に費やしてしまう。

セルフコントロールができない自分が情けないが、ソウウツと上手く付き合ってゆく他ない。

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眠れぬ夜を数えて (2011/3/16 記)

2011年3月11日14時26分。

この時刻を私は一生忘れないであろう。

と言って被災したわけではない。

私は山口県岩国市在住で地震の影響は全くない。

ただ、地震直後からテレビの中継に釘付けとなった。

津波が家や車をまるでおもちゃのように押し流してゆく映像はまるで映画のワンシーンを見ているようで、現実に起きたとは想像もつかない。

気仙沼市の大火災もまるで山火事を見ているようだ。

当日の夜、23時半までテレビを見ていたが、朝にならないと何も判らないからテレビを切った。

睡眠剤を服用して寝付こうとしても、津波や火災の映像が脳裏に焼き付いて寝付けない。

1時間位かかってやっと寝付けた。

4時には目覚める。

テレビではまだ昨日の津波の映像を流している。

被災の現状を知りたいが、まだ未明で明るくならないと実態は判らないといらいら。

やっと中継が入って目を疑った。

まるで戦場ではないか。

原爆投下直後の広島の街とオーバーラップする。

テレビの流す映像を見ていると自然に涙が流れてやまない。

堪えきれずにテレビを消して仕事をしようとしても気になって手に付かない。

テレビが刻々と告げる映像は私の想像をはるかに超える惨状だった。

以来、眠れない夜が続いている。

2時間睡眠を2回取るのがやっとだ。

昨日も22時には寝付いたのだが00時には目が覚めてしまい精神安定剤を服用して02時にまた眠りについたが4時半には目が覚めた。

ただ熟睡はしているので睡眠不足感はない。

被災された方々には義捐金を送るだけしかできない無力感に苛立つ。

「がんばれ東北」と心の中で叫ぶ他ない。

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ゴルフ  (2011/6//7 記)

日頃の運動不足の解消のため、3月からゴルフを始めた。

ジムに通ったり、Wii Fitを買ったりしても3日も続かなかった。

高校時代には65kgだった体重も今では80kgを超え、階段を登ると動悸・息切れがする。

何とかダイエットする方法はないかと考え、「楽しんでやれること」なら続けられるのではないかとゴルフの打ちっ放しを思い付いた。

久しぶりにゴルフセンターに行って打ってみると、全くダメだった。

我流になるのがイヤで、レッスンプロの指導を受ける。

日頃運動を全くしていないし、腰の椎間板ヘルニアも持っているので腰が痛くなる。

4月、5月は体調が悪く、寝込んでばかりいた。

その中で5月初旬の天気のいい日に久しぶりにゴルフセンターへ行き、レッスンを受けていると気分が悪くなった。

日頃全く運動をしていないから、基礎体力がない。

6月に入って体調が戻って来て、基礎体力をつけるためWii Fitを始めた。

私は一時期ゴルフ場のキャディをしていたことがある。

しかし、実際にラウンドした経験はない。

まずはゴルフセンターで思い通りに打てるようになってから、ラウンドする予定にしている。

行きつけのカラオケ喫茶の従業員の一人がしょっちゅうゴルフに出かけるそうなので、自信がついたら一緒にラウンドするつもりだ。

いまはまだ9番アイアンでか打っていない。

上手く飛ぶのがせいぜい一割程度である。

早く上達してラウンドできることを願っている.。

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レコード購入 (2011/06/13 記)

昨日雨の中を近所に住む1年先輩の車で隣の市内にあるジャンクシップへレコードを買いに行った。

お店には無造作にLPやシングル盤が沢山のケースの中に並べられていた。

その中から中島みゆきのLPやシングル盤を買い漁った。

LPの料金は105円、シングルは21円。

『愛していると言ってくれ』
『生きていてもいいですか』
『臨月』
『寒水魚』
『予感』
のLPに加えて12インチシングルの
『冷たい別れ』を買う。

私は中島みゆきのLPとして

『みんな去ってしまった』
『あ・り・が・と・う』
『おかえりなさい』
『はじめまして』
『御色なおし』

は既に持っている。

中島みゆきのLPは『グッバイガール』まで発売去れた。

大好きな『親愛なる者へ』『36.5℃』はなくて残念であった。

ついでに松山千春の『起承転結』『時代を超えて』のLPと、尾崎豊の12インチシングルの『SeventeensMap』『Draiving Allnight』『卒業』『スクランブル交差点』も購入した。

中島みゆきのシングルも13枚買う。

家に帰ってさっそく尾崎を聴くとライヴバージョンであった。

私の持っているスピーカーは高さが約60cmあり、大中小の振動板がある。

特に優れているのが重低音でベース音がお腹にずんずん来る。

レコードはアナログで耳には聞こえない低音と高音も再生する。

CDは可聴範囲の音しか録音していない。

音質的には断然レコードの方が優れている。

日頃使うことの少なかったレコードプレイヤーが出番が来た。

レコードプレイヤーもDENON製の高級品を持っている。

CDでは味わえない歌の醍醐味に胸がわくわくしている


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メルマガの書籍化 (2011/6/19 記)

私は2006年から中島みゆきのシングルの解説及びエピソードを交えたメルマガを「まぐまぐ」で発行してきた。

調子のいいときにしか書けないので発行周期は滅茶苦茶であったが。

昨年の3月11日に
空と君のあいだに/ファイト!』を発行して以来、全然発行できないでいた。

6ヶ月間メルマガの発行がないと休刊措置が取られるシステムになっていて休刊となってしまった。

するとサイト上から消えて、40回近く書き留めてきたバックナンバーも消滅してしまった。

せっかく書き留めてきたメルマガがこの世から消えてしまったことが歯がゆくて形あるものとして後世に残したく、書籍化を目論見、復刊してバックナンバーをファイルとして取り込み修正・加筆することにした。

私は自費出版はしたくない。それは所詮自慰行為にしか過ぎないと思っているからだ。

そこで出版してくれる会社があるかどうか調べたところ、「文芸社」という出版社が素人の作品を無料で書籍化してくれることを知った。

もちろん出版するからには商品としての価値がなければ却下される。審査を通るためには個性を前面に出したユニークな文章を書かなくてはならない。

4年前と今とでは中島みゆきの歌への理解度は違う。自分でも浅はかな文章だなと感じる箇所が多く、原型を留めながらリニューアルしている。

先週先輩に連れられて隣町のジャンクショップで中島みゆきのシングルを13枚購入した。そのジャケットも添付することにした。

ジャケットを添付するに当たり、シングルレコードを全てそろえたく、昨日先輩にアッシー君になってもらい、県内のリサイクルショップ・ジャンクショップを4軒回ってやっと全て揃えることができた。

なんとかして書籍化を実現したい。この世に私が存在した証しを残したい。

本として書店に並ぶ夢を実現しようと連日メルマガの加筆・修正に取り組んでいる。


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メルマガ書籍化断念 (2011/8/20 記) 

前回シングルを解説したメルマガを書籍化すると書いた。

全部推敲を終え、「文芸社」へ送付した。しかし、無料で出版するだけの価値はないとみなされ、文芸社での出版は諦めた。

そこで中島みゆき関連の書籍を多く出版している「青弓社」へ問合せたところ、「失礼ながら無名の新人の出版は厳しい条件が付くことをあらかじめご承知おきください。」との回答があった。

やはり書籍化は難しいことを痛感した。

そこで、このサイトにメルマガのバックナンバーを掲載することに決めた。

興した会社も思うように売上が伸びず、30万円強の追加出資をして広告をいろいろと出してみたが、反応は極めて薄く広告料金の回収にも遠く及ばない。

会社を興すことが「夢」であったが、甘い夢であったことを痛感している。

事前にサーチすることを怠り、まず「会社ありき」であった自分を後悔している。

尤も会社を興す経緯の時点ではソウ状態にあり、冷静な判断能力に欠けていた。

そこで、これ以上会社を続けてゆくのに限界を感じて休眠状態にしている。

「廃業」にすると清算にまたお金がかかるらしいので、「体調を崩して職務ができない」と税務署・県税課、市税課に届けを出し、社会保険庁にも年金と保険の解約の手続きを済ませた。

「夢」は所詮叶わないのかと落胆している。

障害年金とファンドの分配金、駐車場代だけの収入では毎月赤字になるので、何か方法はないかと考え、投資で生活費の足しにすることに思いついた。

ひとつのファンドを解約してそれを資金としてFXのデイトレードを8月15日(月)から始めた。

いきなり3万円儲けたので有頂天になって軽はずみな投資を行った結果、4日間で30万円も損失を出してしまった。

FXは超ハイリスク・ハイリターンな投資であることは承知の上での投資であることは念頭にあったが、負けが込むと取り返そうと安易に取引をしてしまい、損失が雪だるま式に増えて行った。

さすがに30万円の損失は痛く、デイトレードは止めてシステムトレードに切り替えることに決めた。

システムトレードとは運用システムのソフトを使った自動売買である。

デイトレードをしていたときは、上がるだろうと判断して買いを入れると暴落し、下がるだろうと売りを入れると上昇して損失が増えて行った。

そこには勉強不足もあり、また負けてもトレードをしないと気が済まないという心理が働き、安易に取引をした結果がこうしたことになってしまった。

システムトレードで果たして利益が出るかどうかは判らないが、購入したソフトの運用成績は利益率が1000%を超えるものであるから期待している。

システムトレードを来週から始めるが全てコンピュータ任せであるから何もする必要はない。

余る時間何をしようかと考えた末、まずは書籍化を断念したメルマガのバックナンバーをこのサイトにアップすることにする。

元来怠け者である私はこのサイトを更新することを怠っていた。

これからは金儲けはお預けにしてこのサイトの充実を計って行きたい。


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山口国体バレーボール観戦  (2011/10/21 記)

10月7日から10日まで連日、
山口南総合センターにバレーボール観戦に娘と一緒に行った。

娘も私も東レアローズ(女子)のファンで、滋賀県代表として出場していた。

会場まで車で1時間半なのだが、いい席を取るため毎日朝6時に家を出て早くから並んだ。

日中は暑いくらいだったが、朝は冷え込み入場待ちは寒い上、立ちっぱなしは私には堪えた。

入場整理券が8時から配られ、8時半から入場できた。

4日間とも最前列に座れた。

リーグ戦ではビデオ撮影は禁止されているが、国体はOKだったので2階席に三脚を立てて撮影した。

東レアローズは4人の全日本メンバーが抜けており、サブのチームと言ってよかった。

それでも見事優勝を飾った。

やはり東レアローズのファンの人たちと娘の用意したよさこいの鳴子を叩いて応援した甲斐があった。

しかし、私は体調がイマイチ悪く、試合にのめりこむことは出来なかった。

せっかく優勝したのに感激もなかった。

4日間の観戦で私は疲労困憊し、1週間寝込んでしまった。


11月からはワールドカップが始まる。

予選ラウンドは広島であるのでラッキーだ。

東北大震災の影響で本来関東地区で開催予定だってのが変更になった。

すでに指定席を取っているので早くから行って並ぶ必要もない。


それが終わると12月からはリーグ戦が始まる。

開幕戦は岡山であり、これも指定席を取っているので大丈夫である。


娘は私とバレーボール観戦に行くのを楽しみにしている。

しかし、昨年は体調不良で何度もすっぽかして悪いことをした。

自由席の試合は早くから並ばないといい席が取れないので、長時間立ったままで待たなくてはいけなく、日頃PCに向かって座ってばかりいる私には堪える。

その結果、また体調を崩すこととなる。

娘の期待には応えてあげたいが、指定席でなければ行かないことにした。

昨年の二の舞にならないよう、体調を整えて娘の期待に応えるため観戦予定の試合は何があっても行く決意である。
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2010年を迎えて (2010/01/05 記)

風邪 (2010/03/01 記)

甲斐バンド (2010/05/04 記)

ユーミン (2010/05/25 記)

自虐 2010/10/25 記

パニック (2010/10/28 記)

起業 (2010/11/2 記)

不安定 (2011/3/7 記)

眠れぬ夜を数えて (2011/3/16 記)

ゴルフ (2011/6//7 記)

レコード購入 (2011/06/13 記)

メルマガの書籍化 
(2011/6/19 記)

メルマガ書籍化断念 (2011/8/20 記)

山口国体バレーボール観戦  (2011/10/21 記)